いいさそれでも

 先日、地元の海岸清掃に参加しました。海辺の観光シーズンが終わったという事もあり人影はまばらでしたが前日に台風が通過したせいか砂浜に打ち上げられたごみの量は多く、いい汗をかかせてもらいました(負け惜しみ)。

 この清掃活動ですが毎月第1土曜日に行われておりまして会社からの要請で参加しているのですが毎度地元の人間の参加が少ないのは実に不思議。自分たちの庭なわけだからもう少し関心を持ってもいいのではないかとも思いますね。

 確かにボランティア清掃ですから参加するしないは自主的なものなのでしょうが参加メンバーをみていると役職者、及び総務畑の人がほとんどで自主性よりも義務感で参加している感は否めません。

 私はというと義務感もありますが参加者集めに懸命な担当者の姿をみると気の毒だなあと同情してしまうのと「ボランティア活動=社会的に意義がある」という大義が頭にあるので参加しといた方がいいんじゃないかなーといったレベルで参加しています。

 まあ、私の行為は「善行をはたらく自分に酔いしれたい」程度の自己満足、自己陶酔程度の偽善に過ぎないのかもしれませんが、黙々と海岸に落ちているごみを拾う他の参加者を見ている限りはそんなに悪いことでは無い様に思います。客観的にみても砂浜からはごみが取り除かれるのは事実ですからねえ。

 以前にちょっと気になったことを書いときます。2年くらい前でしたか会社の研修がありましてグループ討議の時間があったのですがそこで「職場で喜びを感じるときとは?」といった質問が講師から出たことがありました。参加者は私の年齢プラス・マイナス10歳といったところで30人ぐらいのグループでしたね。

 さて、私の回答はといいますと「他の職員の役に立っているなと感じたとき」でした。例えば同僚から難事の解決方法について相談され「おかげさまで解決しました」みたいな礼を言われたときに素直に喜べると正直に答えたのですが・・・

 結構冷たい目で見られましたね。「なにを青臭いことを言っているんだ。偽善者め」みたいな感じで周囲の失笑をかってしまいました。このときは恥ずかしかった記憶がありますが今考えるとそれ程おかしくは無いんじゃない?もっと人の善意を信じてもいいんじゃないのかなあ。

 誰もが私が私が私がと「私」を自己主張だけする社会は息苦しいじゃねーの。ごみ拾いをしながらそんな事を考えていました。掃除の終わった砂浜は確実に綺麗になっていました。その美しくなった風景には胸につかえていた重苦しい気分を全て吹き飛ばすだけの力があるように私には思えるのですけどねえ。

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